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【国】1.鳥取藩台場跡 境台場跡

発行 境港市教育委員会 TEL 0859-44-2111
 国指定文化財

 1.鳥取藩台場跡 境台場跡
境台場跡  所在地 境港市花町
  指定 昭和63年7月27日
  種別 史跡
  所有者 境港市

 境港台場跡は、幕末文久3年(1863)に築かれた鳥取藩台場8カ所の一つである。ふつう「お台場」と愛称される。その跡はいまも現地に残り、ほぼ旧時の遺構を保っている。史跡として貴重な存在である。
 幕末の攘夷思想の高まりを基盤とし、直接的には文久3年6月、大坂天保山の砲台から英船を砲撃した鳥取藩の方針により、急拠藩内の重要港湾に台場が築造された。因幡では浦留・浜坂・加路の3か所、伯耆では橋津・由良・赤崎・淀江そしてここ境の8か所である。その中でも規模が一番大きく、重装備の台場がここ境お台場であった。

 当時この地は上道村の支村鼻であった。台場の敷地約14,300?、原形は敷幅40m、高さ約7m、上部に8基の砲座を有し、3段式台形土塁を主体とした広大な台場であった。
 備砲は御銘入鉄造5寸径台場砲5挺、同18斤砲2挺、6斤砲1挺計8挺。砲台下土塁の盛り砂は、福定村以北の弓浜海岸や鼻東方の沖浅瀬から運び、被覆土は高麗山麓の黒土を淀江から船で運んだ。基盤の石と山土とは、松江藩に交渉して対岸の島根半島からわけてもらっている。
 工事には会見郡の農民延べ45,300余人が、動員され、ほぼ一年ばかりの短期間に構築された。守備は構大庄屋で引きうけ、近村の農民で組織した農兵が守り、民兵銃取立役として鳥取藩士富山敬蔵があたった。いま境一中のある所(上道町)は、その時の農兵訓練所であった。
 境お台場の使命は明治維新とともに終わったが、明治30年に敷地1町4反余は代金505円余で境町へ払い下げられ、以降台場公園として市民に親しまれている。境お台場跡の新しい施設活用が引続いて今日に至っている。
 台場の東北隅にある灯台は、明治28年に開設された山陰最初の灯台を復元したものである(平成3年復元)。昭和9年廃灯されるまで、港の入口を守った海の交通遺跡である。また、東中央部に建つ慰霊塔は、昭和2年8月の連合艦隊大演習のさい二重衝突事故に遭難した駆逐艦葦(あし)と蕨(わらび)の殉職者たちの弔魂の碑であり、昭和3年に地元の人たちによって建てられた。
 境お台場は、文久3年に構築された由緒により「文久山砲台」とも呼ばれたという。南の土塁跡には、明治40年の皇太子(大正天皇)山陰行啓記念植樹の黒松林が育ち、また300本を越す桜も植樹され、四季を通じて市民の憩の場となっている。

境港市の文化財 GUIDE BOOK より

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