山陰・鳥取県 境港市(さかいみなとし)は鬼太郎をはじめとする妖怪と、サバ、アジ、カニなどのお魚が いっぱいのまち
【市】16.井田磐山墓とその遺品●発行・問● 境港市教育委員会 TEL 0859-44-2111
市指定文化財
16.井田磐山墓とその遺品 <井田磐山墓>
所在地 境港市小篠津町 指 定 平成4年6月10日 種 別 記念物(史跡) 管理者 幸神町自治会 <遺品> 所在地 境港市小篠津町 指 定 平成4年6月10日 種 別 有形文化財(歴史資料) 管理者 龍泉寺 井田磐山は明治9年(1769)大篠津村に生まれ、佐斐神村の井田家に入った。若くして書を好み、書法を求めて京都に上った。 書の奥義を極めた磐山は、書をもって諸国を尋ね書を教えている。山形県村山市に、その時代の姿を伝える「磐山先生留別書画会」と題する木版刷が残されている。それを見ると、51名に及ぶ子弟たちに囲まれて筆をふるう磐山の姿が描写されており、磐山の教授ぶりをほうふつさせる。 磐山の書名はいよいよ高まり、嘉永元年(1848)5月、書をもって法橋の位を授けられた。つづいて同年7月比叡山法曼陀羅院の額を揮毫し、その功によって方眼に叙された。さらに嘉永3年(1850)5月、山門の屏風に揮毫、法印に補され苗字帯刀を許される。書家として破格の処遇を受けている。
晩年は郷里へ帰り、龍泉寺の寺号、山号をはじめ文久3年(1863)94歳の生涯を終えるまで、雄勁にして力強い作品を多く残している。 墓は佐斐神村にまつられていたが、昭和57年米子空港整備にともなって幸神町墓地に移建した。また、磐山愛用の品々は、郷土の文化を彩る遺品である。(遺品は井田欣一家にも保管されている。)
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掲載者 | 姫 |