山陰・鳥取県 境港市(さかいみなとし)は鬼太郎をはじめとする妖怪と、サバ、アジ、カニなどのお魚が いっぱいのまち

【市】17.芋代官碑

発行 境港市教育委員会 TEL 0859-44-2111
 市指定文化財

 17.芋代官碑
芋代官碑  所在地   市内7箇所(別記)
  指 定   昭和62年3月25日
        民俗文化財(有形)
        (7基一括)


 境港市は、鳥取県下でサツマイモが移入されたゆかりのある土地である。江戸中期以降、サツマイモは人々の生活と深い関係をもってきた。鳥取県下には、現在12基の芋代官碑が教えられるが、その中、境港市内には7基あり、市町村単位として最多である。市内7基の芋代官碑は、それぞれに民俗学的価値が高い。
 山陰におけるサツマイモ移入の歴史は、江戸中期享保17年(1732)に西日本一帯が大飢饉に見舞われたとき、石見国大森銀山領の代官井戸平左衛門が、薩摩からサツマイモを取り寄せて領内の村々へ移植させたのが始まりと伝えられている。鳥取県下へ伝わったのは、それより48年の後、安永9年(1780)に境村の幸次郎が石見国静間村の船頭甚右衛門から数個の芋を貰い植栽したのが最初である。(境港沿革史)
 山陰地方へサツマイモの恩恵をもたらした井戸平左衛門は、その遺徳をたたえ芋代官と敬称される。やがて天保期の飢饉を契機として弓ヶ浜半島の村々では芋代官碑の建碑が相次いだ。弓ヶ浜半島には米子市域に4基、境港市域に7基の芋代官碑がある。これら11基の建碑の年代は、芋代官の没後百年忌に当たる天保3年(1832)5月に和田村(米子市和田町)で建てたものが一番古く、次いで渡村(境港市渡町)「真砂神」碑がその翌年の天保4年(1833)に造立されている。
 市内に残る7基の芋代官碑は、自然石または墓石型の碑面に、芋代官の法名の「泰雲院義岳良忠居士」「泰雲院殿」等と刻むものが多い。異色の存在として真砂神碑がある。芋代官碑は井戸平左衛門の遺徳のみならず、村人たちが土地の豊穣を願った素朴な祈りの結晶であったことを物語っている。
   市内芋代官碑一覧 

  所在地・・・・渡町とんど場
  造立年月・・・天保4年10月
  刻字・・・・(正面)真砂神  (側面)碑文あり(省略)
  形状・・・角柱碑
  呼称・・・芋神さん


  所在地・・・馬場崎町 光祐寺
  造立年月・・天保9年6月
  刻字・・・(正面)泰雲院殿
       (側面)「井戸平左衛門正明」「十三世孝誉代」
       (裏面)天保九戊戌六月立
  形状・・・・自然石(円筒型)
  呼称・・・・芋地蔵さん


  所在地・・・外江町 補岩寺
  造立年月・・天保10年9月
  刻字・・・・(正面)「泰雲院殿」「干時天保十己亥九月立焉」「施主村中」
        (側面)世話人 小西屋幾蔵・出雲屋
  形状・・・・自然石(板状) 


  所在地・・・財ノ木町堂
  造立年月・・慶応元年8月
  刻字・・・・(正面)泰雲院殿義岳良忠大居士
        (側面)「慶応元丑八月廿六日」「石州銀山先御代官井戸平左エ門」
  形状・・・・墓石型
  呼称・・・・芋塚


  所在地・・・麦垣町永井家墓地
  刻字・・・・(正面)享保十八五月廿六日 泰雲院殿義岳良忠大居士 石州銀山御領井戸平左エ門
  形状・・・・墓石型   


  所在地・・・麦垣町 堂横
  刻字・・・・(正面)享保十八五月廿六日 泰雲院殿義岳良忠大居士 石州銀山御領井戸平左エ門政明
  形状・・・・自然石


  所在地・・・中野町 村田家墓地
  刻字・・・・(正面)泰雲院 (以下磨滅)
  形状・・・・墓石型
  呼称・・・・芋塚
            
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