Three Guitars Super Band with 村上“ポンタ”秀一 Special Guest Woong San
1933年3月15日、鹿児島県出水郡(現在の出水市)に生まれる。生木でギターを作ったり、小学校の先生が聴く蓄音機の奏でる音を隠れて聴いたりなどして、ジャズに憧れる幼少期を送る。18歳で上京。青山学院大学に通いながら1952年にジャズギタリストとしてプロデビューする。サックス奏者
渡辺貞夫、ピアノ奏者 前田憲男、ドラム奏者 猪俣猛など、多くのミュージシャンと共演し、1963伝説となる「銀巴里セッション」に参加。ジャズのみならず、ボサノヴァのスタイルをいち早く身に付けたミュージシャンでもある。ジム・ホール、ビル・エバンスを敬愛し、横浜「エアジン」等のライブハウス、「横濱ジャズプロムナード」等のホールで、多数のライブ演奏を行っている。また、ギタリスト渡辺香津美の師匠として、たびたび共演している。
1958年福岡生まれ。5歳でピアノ、6歳でクラシックギターを始める。83年バークリー音楽院に留学。卒業後は同学院の講師を勤めた。89年本格的な音楽活動をNEWYORKに移し、ポールマッカートニー、シンディーローパー、セルジオ・メンデス、フィービー・スノウ等のツアー・サポートなど幅広く活動。日本においてもケイコリー、ケミストリー、福山雅治、浜崎あゆみ、山形由美などJ-POP,JAZZ,クラシックに至る迄その活動は多岐にわたる。参加アルバム数はプロデユースを含め約10000枚に及ぶ。95年、National
Geographic社『セイブフォレスト』という記録映画の音楽監督としてその音楽が同年のグラミー賞にノミネートさた。2000年、インスト・アルバムとしては大ヒットになった「イン・マイ・ライフ」を発表。また、世界的に有名なギターメイカー'タカミネ'よりJIRO
YOSHIDAシグネイチャーモデルが発売される。2003年5月、国際連合ニューヨーク本部から日本人としては2人目の国連WAFUNIF親善大使に任命される。2009年5月デイビットサンボーン、ランディーブレッカーを起用したニューアルバムPLATONIC発売。2011年サンヨーエネループTVCMがコマーシャル大賞を受賞、吉田はすべての音楽を担当している。2011年4月15日ニューアルバム'THE
LOOK OF LOVE'を発売。境港妖怪ジャズフェスティバルには4回目の出場。
1974年、秋田県生まれ。95年、ヘリテージ・ジャズギター・コンペティション世界大会で3位に輝いたのを皮切りに注目を集め、99年、ギブソン・ジャズギター・コンテストで優勝。2001年にアルバム『nu
jazz』でデビューを果たす。以後、ソウルやR&Bの影響を受けたグルーヴ感あふれる独自のジャズを作り上げている。06年より湘南の海辺に移住。サーフィンを楽しみながらギターを奏でる職住接近の毎日を送る。現在までに8枚のアルバムを発表。最近作はグオッカ・パーカッションとのコラボで話題を呼んだ『Jam
Ka』。2011年はアクアピットのギタリストとしても活動している。チャリティシングル『光 - Luz』がiTUNES他でダウンロード配信中。若手No.1の実力を持った最も期待されるジャズ・ギタリスト。境港妖怪ジャズフェスティバルには6回目の出場。
1953年東京都生まれ。ハンク・ジョーンズ、ジョー・ヘンダーソン、ヘレン・メリル、ミッシェル・ルグラン、スティーブ・ガッド、日野元彦、など世界のジャズ界をリードするミュージシャンと共演。幅広い音楽性で多くのアーティストに招かれ、国内外のユニットに参加。演奏の場は米国や欧州だけでなく、アジア、アフリカにも及ぶ。自己のグループで1993年より名古屋芸術創造センター、2000年にカザルスホールにおいてコンサート。作曲にも才を発揮し、映画、テレビ、舞踏、アーティストのCDに作編曲を提供するなど、活動範囲は広い。1997年5月、全曲オリジナルのリーダーアルバム「TRIPトリップ」をリリース。現在、自己のグループやソロベース活動の他、井上淑彦fuse、土岐英史、などのステージで活躍。横浜在住。
1951年兵庫県西宮市生まれ。1972年、フォーク・グループ“赤い鳥”に参加。以降、渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一、後藤次利ら、超一流ミュージシャンとセッション、さらに井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、さだまさし、泉谷しげる、桑田佳祐、長渕剛、EPO、角松敏生、尾崎豊、など、膨大な数のミュージシャンのスタジオ・レコーディング、ライヴに参加。レコーディングはゆうに14,000曲を越える。93年、自身初のリーダー・バンド“PONTA
BOX”を結成、99年にはフジテレビ系「ニュースJAPAN JAZZ GIANTS」出演。また、同局『スーパーニュース』の音楽をPONTA BOXが担当し、03年4月よりフジテレビ系「堂本兄弟」第2期DOMOTOBROS.BANDとしてレギュラー出演。近年のリーダー・アルバムとしては、98年に音楽生活25周年を記念した『Welcome
To My Life』、04年には30周年アルバム『MY PLEASURE』を発表。06年には、プログラミング音源に対してドラムでインター・プレイを試みた問題作『Rhythm
Designer』が話題に。昨年にはそのライヴ映像作品『Live! Rhythm Designer〜Shuichi“PONTA”Murakami Solo
Performance 2006@青山円形劇場』も発表している。現在も、サウンド・プロデューサーとしてさまざまなアーティストと新たな音作りを続ける一方、ドラム・クリニックをはじめ、後進の育成、指導にも積極的に力を注ぐ。いちドラマーとしてだけでは捉えきれない高い音楽性と幅広い活動を繰り広げる、日本を代表するトップ・アーティストである。境港妖怪ジャズフェスティバルには4回目の出場。
艶やかさとスモーキーさを併せ持つ詩的ボイスと、独特の柔らかいオーラで聴衆を魅了する最高のヴォーカリスト、Woong
San。2004年、 1stアルバム「Introducing Woong San」(韓国盤はEMIレーベル「Love Letters」)が、日韓で同時発売され、「韓国最高のJAZZシンガー」という確固たる地位を築き、日本国内でも注目を浴びた。2007年、13曲中7曲がオリジナル(作詞・作曲)制作の3rdアルバム
「Yesterday」(韓国盤)を発表。Jazzの枠を超えた人気を裏付けるセールスを記録し、「韓国大衆音楽授賞式 Jazz&Crossover 最優秀音盤賞」「韓国大衆音楽授賞式Jazz&Crossover
最優秀歌(yesterday)」を受賞。2008年12月「Fall in Love」を日本メジャー・デビュー第一弾アルバムとしてポニーキャニオンより日韓両国で発表。着実にファンを増やし、日本国内での評価を獲得した証とも言えるメジャーレーベル移籍となった。2009年12月「Close
Your Eyes」でスイングジャーナル誌選定ゴールドディスクを受賞。日本のジャズ・ヴォーカルの中でもその実力を認められることとなる。2010年10月日本でのメジャー・デビュー以降3枚目となる「Once
I Loved」を発売。ゲストとして日本を代表するトランペッター日野皓正が参加。2012年2月に最新アルバム「Tomorrow」を発売。境港妖怪ジャズフェスティバルには4回目の出場。
グラント・スチュワート カルテット Special Guest TOKU
グラント・スチュワート(ts)
1971年カナダ・トロントに生まれ、19歳でNYに移住。ドナルド・バード(tp)やバリー・ハリス(p)、ジョー・ロバーノ(ts)らに師事し、めきめきとその才能を開花させ、ビレッジ・バンガードやバードランドといった名門クラブで演奏する。このグラントの力量に目をつけたのが、日本を代表するジャズ・プロデューサー川島重行氏である。以来彼の下、日本作品としてすでに5作品を発表。2009年度スイング・ジャーナル誌人気投票で、ジャズマン・オブ・ザ・イヤー第7位、テナー部門において第3位に選出されるなど、彼の人気・実力がこの日本で本格的に定着してきた証拠であろう。2010年第6作目『セント・トーマス〜プレイズ・ソニー・ロリンズ』を発表、そして日本全国ツアーを敢行し、各地で絶賛される。
デズロン・ダグラス(b)
コネティカット州ハートフォードに生まれ、9歳でベースを始める。父の影響の下、ゴスペル・バンドで活躍、17歳でハートフォード大学のジャッキー・マクリーン・インスティチュートに入学し、マクリーンから多大な影響を受ける。卒業後の彼はファラオ・サンダース、サイラス・チェスナット、ブランフォード・マルサリス、ケニー・ギャレットらとコンサート&レコーディングで共演。最近はチェスナット・トリオ、ハートフォード時代の先生スティーブ・デイビス(tb)・クインテットを始め、ハートフォード時代の仲間によるニュー・ジャズ・ワークショップを結成し精力的に活動中。
デビット・ヘイゼルタイン(pf)
ミルウォーキー生まれのデビッド・ヘイゼルタインは13歳でプロ・デビューし、地元のジャズ・クラブ<ミルウォーキー・ジャズ・ギャラリー>のハウス・ピアニストとして活躍。エディ・ハリス、ソニー・スティット、チェット・ベイカーらのバックを務め、彼らの推薦もあり、1992年NYに進出するや、ルイス・ヘイズ(ds)ピーター・ワシントン(b)を擁して自己のトリオを結成。以来彼はNYにおいて「musician's
musician」として名声を得、マリーナ・ショウの音楽監督として、またスラド・ハンプトン・ジャズ・マスターズ・ビッグバンド、カーネギー・ジャズ・バンド等に参加、さらにはエリック・アレキサンダーらと「One
for All」を結成し活躍している。
フィル・スチュワート(ds)
フィルは現在NYでもっとも勢いのある二つのジャズ・クラブ、「スモールズ」と「ファット・キャット」のハウス・ドラマーとして、またスモールズ・レーベルの重要なドラマーとしても活躍中だ。これまでハンク・ジョーンズ、バディ・ハリス、パット・マルティーノ、ブラッド・メルドー、そして兄であるグレッグ・スチュワートらのバンドで活躍してきており、今後を嘱望されるドラマーとしてその実力・人気はうなぎ上りだ。ピアノのヘイゼルタイン同様、グラントの『バラード』、ならびに次作への参加も予定している。「フィルは安定したリズムを刻んでくれる私のもっとも好きなドラマーの1人」と語るのは、兄グレッグその人だ。
1973年新潟県生まれ。日本唯一のヴォーカリスト&フリューゲルホーンプレーヤー。高校・大学はロック、ポップスのコピーバンドをしていたが、たまたま、大学の学園祭でマイルス・デイビスの“IF
I WERE ABELL'を吹いているのをジャズドラマーが聴いていてライブハウスでのセッションに誘われる。何度かのセッションでジャズに深く興味を覚える。大学2年の時にオレゴン州に語学留学。その時のルームメイトがジャズピアニストだったことで一緒にバンド活動を開始。大学卒業後、ライブハウスで唄っているところをアメリカのラジオ・パーソナリティーがスカウト。2000年1月アルバム“Everythig
She Said'でSMEよりデビュー。デビュー当初から注目を集め、その年の8月には早くもブルーノート東京に出演。更にアルバムはアジア各国でもリリースされ11月には韓国ソウル大学の建国大学内ニューミレニアムホールにて海外での初ライブを行った。デビュー以来、海外公演を積極的に行い、2007年度は北京、上海、パリ、ベルギーでのライブを敢行。2007年度
「Jazzy Shanghai Festival」 「Paris Jazz Festival」、2008年度 「Hong Kong International
Jazz Festival」、2009年度 「Jakarta International JAVA JAZZFestival」出演。ジャズの枠を越えた幅広い音楽性からm-flo、平井
堅、Skoop On Somebody、今井美樹、Paris match、クランボン、椎名純平、大黒摩季etc.のシングル、アルバムに作家・プレーヤーとして参加。J-POP界にJazz
Feelを注入する一翼を担う。また、2004年〜2007年Four Roses(キリンビール)の媒体キャラクターに選ばれ、雑誌・交通媒体で展開。境港妖怪ジャズフェスティバルには8回目の出場。
SOIL&“PIMP”SESSIONS
2001年、東京のクラブイベントで知り合ったメンバーにより結成。ライブ・パフォーマンスを中心とした活動を身上とし、確かな演奏力とクールな雰囲気をただよわせながらも、ラフでエンターテイメント、バースト寸前の爆音ジャズを展開。DJが主体であったクラブに、LIVEパフォーマンスを持ち込んだパイオニアとして、クラブ・シーンでは知る人ぞ知る存在となる。2004年、初音源となるアルバム『PIMPIN'』をリリース。自らを'DEATH
JAZZ'(デスジャズ)と称したオリジナリティーあふれるスタイルが話題となる。2005年、1stフル・アルバム『PIMP MASTER』発表(以来、年に1枚のペースでアルバムをリリース)。同年、英BBC
RADIO1主の“WORLDWIDE AWARDS 2005'で「John Peel Play More JazzAward」を受賞。以降、ヨーロッパではアシッド・ジャズの生みの親Gilles
Peterson(ジャイルス・ピーターソン)のレーベルBrownswood Recordingsより、USはインディペンデント最大手のE1 Entertainmentより、オリジナル作品をリリース。現在も、国内のみならず海外からのライブ・オファーは後を絶たず。イギリスの国民的ロック・フェスティバル“グラストンベリー'をはじめ、スイスの“モントルー・ジャズ・フェスティバル'、オランダの“ノースシー・ジャズ・フェスティバル'といった、数々の大型フェスティバルに出演するなど、海外においても確かな足跡を残し続けている。また近年では、国内より椎名林檎、海外よりUKトップ・ジャズ・シンガーJamieCullum(ジェイミー・カラム)、CMで話題のMaia Hirasawa(マイア・ヒラサワ)をフィーチャーするなど、ボーカリストを迎えての作品も手掛けている。
寺井尚子カルテット
1988年、ジャズ・バイオリニストとしてプロ・デビュー。ジャズ・ピアニスト、ケニー・バロンとのセッションをきっかけにニューヨークでのレコーディングに参加し、一躍注目を集める。その後も日本を代表するジャズ・バイオリニストとして、独自性あふれる表現力ゆたかな演奏スタイルで人気の高いコンサートを中心に、テレビ番組(「シネマジックカフェ」BS-TBS、2010年〜)のパーソナリティやCM出演など、ジャズの枠組みにこだわることなく幅広く音楽活動を展開している。また、リシャール・ガリアーノ、リー・リトナー、ハービー・ハンコックなど、世界的アーティストとも数多く共演。「文化庁芸術選奨
文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)」受賞(2010年)。繊細な表現力と情熱的な演奏にますます磨きがかかる、世界を舞台に活躍するジャズ・バイオリニストである。リシャール・ガリアーノ、オーケストラ・カメラータ・ドゥカーレと共演し、話題を集めた「東京JAZZ2011」のライヴ盤『LIBERTANGO
IN TOKYO リベルタンゴ・イン・トーキョー』好評発売中。2007年に境港商工会議所フィッシュ大使就任。境港妖怪ジャズフェスティバルには9回目の出場。
北島直樹(pf)
青山学院在学中にプロ・デビュー。松本英彦、日野元彦、本多俊之のグループに参加。阿川泰子のアルバム「ジャーニー」、「サングロウ」でアレンジを担当したことがきっかけとなり、CM音楽の制作、アレンジやスタジオワーク、和田アキ子、岩崎宏美のツアーやテレビ出演など、幅広い音楽活動を精力的に行う。寺井尚子のアルバム「アンセム」から最新作「マイ・ソング」まで、作曲家・アレンジャーとしても才能を発揮。現在は寺井尚子カルテットの活動を中心に活躍中。1955年生まれ。
店網邦雄(b)
ジミー竹内(ドラムス)グループで活動後、スタジオ、ライブを中心に活躍。パティ・ペイジ、斎藤和義、田村直美、阿川泰子、マリーンなど、ジャンルを超え多くのステージで演奏活動を行う。原信夫とシャープス&フラッツ、小林ちから(ピアノ)、秋本薫(サックス)などのグループでレコーディングに参加。寺井尚子のアルバム「アダージョ」では作曲家としても参加している。ジャズ、クラシック、ロック、ラテン、シャンソン、タンゴと幅広く活動している数少ない実力派ベーシスト。1955年生まれ。
高校卒業後、渡米。ジョー・ポカーロ、ジョエル・テイラーに師事。帰国後、小柳ゆきのコンサート・ツアーをはじめ、さまざまなアーティストのステージに参加。また、劇団四季「マンマミーヤ」他、数多くのステージやミュージカルでバックバンドをつとめるなど、ジャンルを問わず個性豊かなドラミングに定評がある。2002年より寺井尚子のバンドに加入。寺井尚子カルテットのコンサート、レコーディングを中心に活躍中。1974年生まれ。
オープニングアクト
熱田修二(tp)
1951年出雲市生まれ。中学校より吹奏楽部でトランペットを始める。高校卒業後、ヤマハのネム音楽院で1年間学んだ後、1971年に上京し、森寿男とブルーコーツで19才にしてプロ入りを果たす。1973年に宮間利之とニューハードに転じて、多くのレコーディングに参加。1975年には原信夫とシャープス&フラッツに加入。我が国を代表するビッグバンドに在籍。サミー・デービスJr、シャーリー・バッシー、ナンシー・ウィルソンなどのビッグアーティストの日本公演にも参加。出雲に帰郷後、リーダーアルバム「アイ・リメンバー・クリフォード」をリリース。以後、1995年、高橋達也のプロデュースによる2枚目のリーダーアルバム「ゴースト・オブ・チャンス」をリリースし、「スイングジャーナル」など音楽専門誌などで高い評価を受けた。2000年9月、日本屈指のジャズ・ギタリストの宮之上貴昭との合作、「スイート&ラブリー」を発表した。現在、出雲を中心にコンサート活動を行っている。境港妖怪ジャズフェスティバルには2回目の出場。